「ぼくたちは、ニジェールで新しい村作りを諦めることにした。」福岡編 レポート

こんにちは、SALTスタッフの土谷です。
「ぼくたちは、ニジェールで新しい村作りを諦めることにした。」福岡編 レポート先日SALT2Fにて開催された「ぼくたちは、ニジェールで新しい村作りを諦めることにした。」福岡編についてレポートします。

西アフリカのニジェール共和国で15年間、地域への協力活動を続けるNPO法人ヤウダゴベ代表 三木夏樹さん。
三木さんを応援する為、多岐にわたってアフリカや日本で活動されている株式会社bona代表 奥祐斎さん。

3年前、お二人はニジェールで村づくりのプロジェクトを立ち上げ、奥さんはクラウドファンディングで資金集めや仲間集めに奔走するも、情勢の悪化などにより断念せざるを得なくなってしまいました。

そこで三木さんの一時帰国中、5-6月の間にお二人は島根・福岡・東京を行脚し、応援していただいた方にお話をしたいという想いで本イベントを開催。
その福岡開催場所としてSALTを選んでいただき、SALT代表取締役の須賀が聞き手となり、三木さんが現地で見ている現状や活動、村づくりを諦めることになった経緯とこれからについてお話をお聞きしました。

1960年、ニジェールはフランスから独立。昔は家族ごとに集落を持っており「自然村」単位で暮らしていましたが、それによって「行政村」がつくられました。
無理やり結合させられた為いざこざが絶えず、さらに資本主義が急激に入ってきたことで所有の概念が広がり、自然や伝統が破壊されています。

例えば男性が女性を買うようになり、婚資が不当に高値で吊り上げられ、それにより暴力や貧困の助長される。そんな状況を知り三木さんはやめさせようとしたところ、媒介している商人たちから殺されそうになったこともあるそうです。

このようにコミュニティが機能不全に陥り、安全に暮らすことができなくなっている状況をどうにか打破しなければならない。そこで、ゼロから自立した循環型の村を作り直そうと、約20世帯の人々と決意し、土地を買い戻しクラウドファンディングで資金や仲間を集めました。しかし、そんな中で村では幾度となく裏切りや略奪、犯罪が起こり、裁判を繰り返して最終的に無理だと判断するに至ったと、お二人は苦しさが滲んだ表情でお話されました。

それでも二人はまた立ち上がり、今は村づくりはできなくても、お二人それぞれ別の形で現状に向き合い活動されています。


三木さんは現地で産科フィスチュラを患う女性や、聾唖者、生活困窮者の支援。
奥さんは現地で起こっている現実を伝えることをミッションとし、アフリカコーラや現地の生活を伝えるTシャツなど、アフリカに関するグッズ制作・販売、イベントの開催などに取り組んでいます。(これらの活動はbonaのInstagramでもチェックできますので、ぜひご覧ください。)

「質量の少ない世界をつくる」ことが課題だと三木さんは言います。
質量のかかる世界観はつぶし合いになってしまう。そうならない為に、まず目の前にいる人の存在を大事に、ただただ自分のできることをやる。それが思い込みをぶっ壊すことだったり、新しい考え方を取り入れることだったり。それが自分の役割だと認識しているというお話が印象に残っています。

奥さん、そして須賀を交えての対話の中で、コミュニティとは何なのかということについても触れる場面もありました。日本ではコロナ下でコミュニティという言葉が多用されるようになりましたが、その実態は伴っているのでしょうか。奥さんは、三木さんの存在は元々メンター・師匠のようなものだったが、今は仲間や同志のように感じており、それが最小のコミュニティなのではとお話されていました。目の前にいる人の存在を認めるところからコミュニティは生まれるのかもしれません。

トークの後には参加者の方々が一人ずつ疑問をお二人に投げかけるような時間もありました。それぞれがテーマとして掲げていることや課題に感じていることを重ね合わせつつ話をされていて、とても濃い対話の時間になったのではと思います。
お二人の存在、言葉に直接触れることができる貴重な機会をありがとうございました。